本町の歴史は神亀年間(西暦724年から728年)僧の行基が寺下に応物寺を創建し、観音像などを刻んだと伝えられるところまでさかのぼることができます。そして、文安元年(西暦1444年)には琳阿孝寛大和尚が道仏に西光寺を開山するなど、このとき現在の集落の基礎が形成されました。

 藩政時代に入って寛文4年(西暦1664年)には、南部直房に八戸藩が与えられ、本町は八戸藩の所領となりました。また文化4年(西暦1807年)に海岸防備のため小舟渡海岸に八戸藩の浦固めが置かれました。

寺下観音堂
参拝者で賑わう寺下観音堂

 明治4年の廃藩置県により八戸県に所属しました。同年八戸県は弘前県に合併され、さらに同年9月青森県に改称統合されました。明治6年大小区制により、本町は第9大区4小区に属しましたが、明治11年に大小区制が廃止され、郡制施行により本町は三戸郡に編入されて角柄折の正部家に戸長役場が置かれました。

 明治22年町村制の施行により、旧8カ村を合併して階上村となり、昭和55年5月1日には町制施行により階上町となりました。